![](https://static.wixstatic.com/media/653f9c_bd849733ede642688aa089b42fd7838b~mv2.jpeg/v1/fill/w_1920,h_1920,al_c,q_90,usm_0.66_1.00_0.01,enc_avif,quality_auto/653f9c_bd849733ede642688aa089b42fd7838b~mv2.jpeg)
展示予定
「日記をのぞいて、私を探って」
2024年12月13日〜22日
場所 Room_412
期間 2024年12月13日(金)~22日(日)
11:00~20:00
※火・水はお休み
![50670175-494F-4D3B-85D2-9253640B36F4_1_201_a.heic](https://static.wixstatic.com/media/653f9c_d30fbb09528f4e4cb463d643f56d3608~mv2.png/v1/fill/w_524,h_359,al_c,q_85,usm_0.66_1.00_0.01,enc_avif,quality_auto/50670175-494F-4D3B-85D2-9253640B36F4_1_201_a_heic.png)
「日記」それは私が私を知るための手段。
文章が特別上手いわけでも、得意としているわけでもないが、私は何か問題が起きるたびにその辺にある紙やノートに文書を書き始める。
それが習慣になったのは、いつだっただろうか。
絵を書き始める前、高校を中退した頃だったろうか。
いじめによって人生の時間がストップしてしまったような気がしていた。
憎い男子達や、見て見ぬふりをした友人達、学校の先生。
みんなが高校生活を楽しんでいるのに、私は家から出られない。
悔しくて悲しくて、弱い自分を憎み、周りの人間を敵視した。
そんな黒くて醜い感情を吐き出すようにと、母が一冊ノートをくれた。
最初はうまく言葉にできなかった。
あまりにも大きく激しい怒りや悲しみをどう処理していいかわからなかった。
たぶん、そのノートはぐちゃぐちゃで読めたものではなかったと思う。
(実家が引っ越すときに捨ててしまった気がする)
だけど、気持ちは確かにスッキリしていたのだ。
ノートに気持ちを書くことで、私の状態を俯瞰して見ることができた。
それからうまくいかないとき、悩んだり、悲しいときは書き出すようにした。
私は動物みたいなところがあって、そうやって俯瞰して見ないと整理できなかったから。
それが15歳くらいのころ。
20、21歳頃、美術予備校に通い始めた。
絵を描きたかったから。
絵は楽しかった。
文章とはまた違うけど、私を俯瞰することができた。
絵も別に上手い方じゃなくて、デッサンもヘタクソで、難しくて唸りながら向き合った。
予備校で出会った人たちは年下が多かったけど、みんな上手くてすごいと思った。
この時初めて人を尊敬したり、すごいと心から思えた。
小学校5年生のいじめで、人を信用しなくなっていたのに簡単にバリっと私の心の壁みたいなものが壊れた。人間になれた気がした。
そこからは絵と文章がセットになった。
描けない時には文字で書き出して、頭の中を整理する。
①日記を書く ②絵にする
これがルーティンになった。
私の絵はかなり私のまんまで、文章から形が変わった日記なのだ。
だから今回の個展で発表した絵の中にも当時の私がいて、今も絵の中で息をしている。
それを見ると、私は自分がその時間を懸命に生きていたことを知り嬉しくなる。
「日記をのぞいて、私を探って」